最も多く愛する者は敗者である
彼女がかまってくれない。
つまりはそういうことだ。彼女は僕を好きでいてくれるが、それに対し僕の求めるものは多すぎた。
僕らは大学生の時に付き合った。彼女は学年が一つだった。地方にある大学院に行こうと思っているという話をしたとき、彼女は泣いた。
「地方に行ったらいれなくなってしまう」と。
どうしたことかそれを聞いて僕は「大学院に行ってる場合じゃない、彼女のために働かなければ」と思った。
大学院進学をやめ、都内のIT企業に就職。全国転勤がなく、彼女の仕事に合わせて転職しやすい会社を選んだ。
しかし、彼女は地方の会社に就職した。僕はなぜ?と思ったが、彼女を応援するしかなった。彼女にはやりたいことをやってほしかったからだ。
ここからがいけない。自分は彼女が地方の会社に行くからと言って彼女は僕にその分だけ、会いに来てくれるだろうと思った。彼女の意思で地方に言った分、僕にもっと時間を割いてくれるだろうと思った。
でも違った。彼女は僕に会いに来てくれるわけでもなく、何か東京に用事があればきてくれるだけだった。
僕は僕のためだけに彼女に東京まで会いに来てほしかった。
僕の愛と彼女の愛は違う。それがやっとわかった。でも僕は彼女を愛している、ずっと一緒にいたい、ずっと愛していたい、
気持ちが落ち込む中町へ出かけた。本を買い、持っていたたばことともに喫茶店に入った。
買った本はトーマスマンの「トニオクレーゲル」。
読み始めたころこんな一節があった。
「最も多く愛する者は敗者である。そして苦しまねばならぬ―」
僕は彼女を最も多く愛していた。今の苦しい気持ちは愛のせいだった。
僕は自分がわからない、どうしたらいいのか。
もう僕が変わるしかない。彼女がすべてだった人生はもうやめよう。自分が自分の人生の主役だ、自分のやりたいことをやる、自分の人生を生きる。
自分を愛し、そして彼女を愛す。
人生はこれからだ。